はじめに

 この旅の記録の第1部は、学生時代に国鉄を利用して「一筆書き切符」で帰省していた頃のことをまとめたものです。それらの旅の思い出は、当時の写真を整理したアルバムの中に残っていましたが、そのアルバムも引っ越しの度に荷物となり、今では実家の押し入れに眠っているため見ることもありません。最後の引っ越しをする際に、荷物を整理していると昔のネガフィルムが大量に見つかり、捨てるのは忍びないのでフィルムスキャナーを購入し、それらのフィルムをデジタル化することにしました。

 その頃は単身赴任していたため時間に余裕があり、夕食後にフィルムを1枚ずつスキャンしてデジタル化する作業を行いました。その作業を始めてみると、中には変色したフィルムや汚れがついているフィルムもありましたが、後で画像処理ソフトを使用して可能な限り修復も試みました。しかし、今のデジタルカメラと違ってネガフィルムには写真を撮影した日や時間のデータがありません。もちろん、カメラ本体に撮影日や時間などを写し込む機能が付加された以降のネガフィルムには撮影日が映っていましたが、その機能が付いていない時代のカメラの物もたくさんありました。そのため、ネガフィルムケースに書かれていた、手書きのメモと写真を撮った頃の曖昧な記憶が唯一の手掛かりでした。

 そんな地道な作業を積み重ね、ネガフィルのデータを大体の撮影年月に基づき整理することができました。フィルム写真の時代は、フィルム代や現像・プリント代がかかるため、何でもパシャパシャ写真に撮るのではなく、ここぞと思うシーンを撮影していたため、旅の記録を再現するために必要な情報が十分だったとは言えないところもありました。しかし、この旅の記録を再現する上で重要な役割を果たしてくれたのがスタンプ帳でした。第1部の最初にも書きましたが、1970年代の国鉄の駅にはDiscover Japanのスタンプ台が設置されていました。スタンプを収集する専用のスタンプ帳も売られていたようでしたが、自分用に購入した白紙のスタンプ帳が手許に2冊残っており、降車駅で押したスタンプの余白に書かれていた列車名や時間などの情報が当時の旅行の再現に非常に参考になりました。

 そのスタンプ帳に残っていた旅の記録が学生時代の旅の全部ではないのですが、それ以外は消えかかった記憶と写真から思い出すしかありません。そのため、第1部の記録としては未完成の部分もたくさんありますが、思い出すたびに追加していきたいと思っています。学生時代の帰省旅行で一筆書き旅行をした結果、当時の国鉄路線の半分位は乗車したのではないかと思います。学生生活の終わり頃に出版された宮脇俊三「時刻表2万キロ」を読み、鉄道紀行の楽しさを感じたものの国鉄路線全線完乗というのは遠いところのもので、自分で挑戦しようなどとは考えていませんでした。就職して仕事が忙しくなり、結婚して子供が小さい頃には学生時代のような長期の休みも無く、未乗車路線の鉄道旅行に行くことはありませんでした。その頃だったと思いますが、宮脇俊三の「最長片道切符の旅」を読んで、そんな旅もしてみたいと思った記憶があります。

 そんな夢を呼び起こしたのが「青春18きっぷ」でした。「青春18きっぷ」の歴史は古く、1980年代の初めにあったようですが、私が最初に利用したのは2000年頃に単身赴任先の関西から東海道本線の普通列車を乗り継いで東京まで戻った時でした。その時の「青春18きっぷ」の旅で感じたことは、列車に乗り続けることは苦痛ではなく、普通列車の旅も楽しめるということだったように思います。そんなこともあり、2017年の飯田線の旅に出かけたことを皮切りに、おじさんの「青春18きっぷ」の旅が始まり、「青春18きっぷ」の発売時期になると何処へ行こうか考えるようになりました。その合間にも、仕事で出かけたり、家族と出かけたりした先でも乗っていないJR路線の乗りつぶしを行いました。

 一方、JRの路線廃止や第3セクター鉄道への移管もあり、対象路線が段々少なくなくなってしまうこともありましたが、2020年頃にはJRの未乗車路線が全体の約7パーセントになりました。その時点での残りの路線の多くは、中国地方の西部、九州、四国など東京から遠い地区のため、鉄道ファンには邪道かもしれませんが時間を有効に使うために飛行機の利用も考えました。この頃にはLCCと呼ばれる格安航空が普及しており、鉄道で移動してホテルに泊まるより安くなる場合もありました。現時点では、本の副題にもあるとおり「JR全線踏破を目指した」旅の記録であり、コロナウイルスが収束して旅を再開できれば、全線踏破までの記録も追加できればと考えています。

2020年8月14日

JR路線の乗車実績実績

2024年4月15日時点でJR全線乗車相当を達成


 2023年5月に新型コロナが5類となり、世の中も少しずつ元の状況に戻ってきました。そうした状況を踏まえ、2023年には中国地方の西部と北九州に残っていた未乗車路線を全線踏破し、2024年3月16日に開通した北陸新幹線の敦賀から金沢の区間も開業日に乗車しました。一方、3月末で根室本線の富良野から新得までの間が廃止になってしまったことは残念でした。

 そして、最後に残ったのは日南線、宮﨑空港線及び肥薩線だけとなりました。日南線と宮﨑空港線は2024年4月14日に乗車し、翌日には線路が崩壊して運休中の肥薩線の未乗車区間をコミュニティバスに乗車し、それも無い区間は歩いて走破しました。ちょうどその頃、肥薩線についての地元協議に動きがあり人吉から八代までについては鉄道再開が決定しました。しかし、鉄道が再開されるとしても約10年先のことになりそうです。

 そうした状況から、乗車率100%には到達していませんが現時点で乗車可能なJR路線を完乗したことで、この乗車記録を暫定出版することとしました。肥薩線の人吉から八代までの間が乗車可能となった際には再度現地を訪れ、100%完全達成の追加報告を追録として作成したいと思います。

2024年4月 片岡 久志


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